活動理念とストーリー
はじめまして、祐(ユウ)です。
ブログを見ていただきありがとうございます。
僕は現在31歳。4年ほど前から東京都品川区に事務所を構え、インターネット事業を行う会社をしています。デザイン制作や、中小企業・個人起業家の集客コンサル、他にアフィリエイト事業なども行っています。
- 月間1億PV(売上2000万円)を越えるメディアの制作・保守
- 1発2億円以上を売り上げるビジネス塾のWebサイト制作
- 誰もが知る有名RPGの(FFともう一つのやつ)LP制作
- 週刊少年ジャンプアニメ化サイトデザイン制作
- アイドルグループWebメディアのプロデュース・グッズ制作
- 個人メディアで月間280万円の売上
- 中小企業や個人のインターネット活用コンサル
など。とくにこれと決めず、楽しそうな事業に色々と関わっています。
ただ、最初から全てこううまくいっていたわけではありません。学生時代はもちろん、社会人になってからもそのダメっぷりは変わらず。「会社が嫌」という誰もが一度は考えるあろうことを我慢できず、なんのあてもなく会社を辞め、その結果路頭に迷う一歩手前までいってしまったこともあります。
ですが、そんな僕でもある瞬間から、自分の人生に、そして自分の仕事に真剣に向き合うようになりガラッと世界が変わっていきました。
多くの人の人生の悩みの種となるのが、お金についてです。お金がないから、たくさん働く。たくさん働くから時間がなくなり、身体や精神も病んでいってしまう。これに気付いた僕は、真っ先にお金の自由を得るために行動しました。
こうしたお金から始まる不自由を根こそぎ解決するために取り組んだのが、ビジネスだったというわけです。その結果、以前の自分が理想としていた自由が叶ったのはもちろん、ビジネスを学んだことで見える世界、出会う人によってより刺激的な人生に変わりました。
このブログでは僕のそうした経験を踏まえて、どんな経験・どんな考え方を通して今に至ったのか。自分の人生に熱中し、毎日をワクワク楽しめる。心の底からの「自由」になっていくための方法を書いています。
これからあなたにブログを読んでいただくにあたり、僕がどういった人物かわかった方が記事の内容を理解しやすいと思うので、まずはささっと僕の今までのことを紹介していきます。
何者にもなれない、普通の家の普通の子ども
「お前の親を見ろ。おまえは普通の家に生まれた普通の子ども。
人以上に努力をしているわけでもないし、何にもなれない。
我慢して普通に働くのが1番幸せだ。」
僕は小さい頃から何かを作るのが好きで、クリエイティブな職種に憧れていました。ですが、僕が住んでいたところはど田舎中のど田舎。デザイナーやクリエイターという職業は、
- 限られた人だけができる
- 将来が安定しない
と、偏見の目で見られていました。
それでも諦めきられなかった僕は、大学の頃にアルバイト代を貯めてペンタブを買い、イラストを描き始めます。誰から教わるわけでもなく、パソコンに向かう日々。昼夜を問わずイラストに熱中し、僕はとあるゲームの公募イラストに当選します。
初めての経験、そして自分の可能性に大喜び。目の前の人生がパッと明るくなるような気持ちになりました。そんな浮かれていた僕に、父親が掛けたのが先程の言葉です。
まあタイミングが悪く、ちょうど就活で忙しくする時期だったので、親からの厳しい言葉も正論だと感じました。それでもやはり、親から拒絶され、自分の人生を否定されるような絶望感は今でも鮮明に覚えています。
目の前の道が閉ざされ、僕はただただ悔しくて泣きました。「自分なんかじゃ無理だ」「このままの人生で終わる」と、頭の中をグルグル回るネガティブな言葉。そして、そのとき初めて、何にも熱中せずフラフラと過ごしてきた過去を悔みました。
そこからは両親とも疎遠になり、僕も廃人のようになりました。共働きの両親が働いている昼間の時間帯に家に帰り、夜はバイトに。そのまま彼女の家に行って、次の日そのまま学校へ。親から逃げるような生活を1年間ほど続けました。
それでも、就職先(人生)を決める時間は一刻一刻と迫ってきます。この頃の僕は結局なにをすればいいかわからず。実家さえ出れればなんでもいいと思っていました。「家にいたらまた嫌な思いをする」と。
卒業年度の夏。僕は東京のベンチャー企業の説明会と面接を受けます。人数は5人ほどのWeb制作会社で、手取りはわずか13万円ほど。まあ…そんな時期まで募集をかけている会社なので、贅沢は言えません。
むしろ、「東京」「ベンチャー」という言葉に、ものすごい魅力や可能性を感じました。
幸いにも僕はそれまで描いてきたイラストや、触り程度のパソコンスキルが評価され、その会社に内定をもらうことができました。
一人で初めて飛行機に乗り、東京へ。その日の面接が長引き、帰りの飛行機には間に合いませんでしたが、浜松町のデニーズで一人夜ご飯を食べて、その日は近くのネットカフェで一泊。そんな非日常感に、「これからなにか始まるかもしれない!」とワクワクして、その日は眠れませんでした。
両親からは「上京する金は出さない」と言われていたので、内定が決まってからは授業なない日はフルタイムで派遣で働き、授業のある日も夜は飲食店で働きました。そんなこんなで、僕は上京資金を貯め、なんとか家から出ることができました。
初めて自分で選んだ、自分の人生。しかも、デザイナーという職業。
「これで絶対に自分の可能性を証明してやるんだ!」胸を膨らませて上京をしたものの、現実はあまりにも理想とかけ離れたものでした。
上京、そして現実を突きつけられる
新卒1年目。給料が安かっため、僕は千葉から1時間かけて東京都内に通うことに。「ここから人生をやり直すんだ!」と意気込み、安い給料の中からそのほとんどを読書代に充て、長い電車通勤時間を読書の時間に使いました。
というのも、その頃は漠然と「お金持ちになって、自分が正しかったことを証明してやる」と思っていたものの、正直どうやってお金を稼ぐかまでは見えていませんでした。
お金持ち→起業?のような安易な考えで、いつか独立して自分で事業をしたいということだけを決めている状況。自分ができることがパソコンしかなかったので、なんとなく「ネットビジネスで」とは考えていましたが、それ以上のことは探り探りです。
色んな本を読みながら自分が進み道を探していたので、今考えるとかなり遠回りしていたと思います。それでも、親元を離れて自分で選んだ人生にはとてもわくわくしていました。
ですが、そうした日々もつかの間。僕は現実を突きつけられることになります。
入社した会社での僕の仕事は、
- 来客対応とお茶くみ
- 頻繁になる電話の対応
- 資料のコピー
と、雑務、雑務、雑務。気が付くと雑務だけで1日が終わってしまうようなことも少なくありませんでした。
「未経験だし新卒だし、しかたないか…」
と、最初は諦めていたものの、次第に日々のワクワクはなくなってしまいました。そして、同期で入った子も1年も経たずに退社。2人で分担していた雑務作業は、次第に僕1人でやることになり、負担は倍増。
自分の思っていたものとはかけ離れた仕事内容に、「このままこの会社にいてもしかたない」と感じた僕は、ちょうど1年半くらいでその会社を逃げるように退社しました。
この頃は、給料も安かったので毎日お弁当を作って会社に持っていき、外食も3ヶ月に1回くらいでした。「あれ、やっぱり普通に働いた方が幸せだったんでは?」と考えたことが何度もあります。
普段から食べる量も少なく、ストレスもあり体重は45キロまで落ちました。
この時1番辛かったのが、誰にも相談することが出来なかったことです。本当なら諦めて実家に帰ることもできたと思います。ですが、僕の場合は実家からも逃げるように出てきました。
嫌なことから逃げて、また嫌になったら逃げて…きっと家に帰ったら
「ほらな?やっぱりできなかっただろ」
と言われるのが怖く、退社も一人で決断。もちろん、その頃はまだ自分の事業なんて何1つもっていません。来月から入ってくるお金は文字通り0円です。
なけなしの貯金(10万円ほど)で1ヶ月は生き延びられそうだったので、その間に転職活動をすることに。このときは、学生の頃の就活以上に頑張りました。
千葉から東京に行くための交通費だけでも、往復で2000円ほど掛かります。1日に何社も面接を受けました。ちょうど夏だったのですが、面接と面接の間の待ち時間にカフェなどに入る余裕もなく。ずっとコンビニで立ち読みをして時間潰しをしていました。
最終的に面接を受けた会社は合計で30社近くだったと思います。新卒で1年半で辞めているのがそもそもヤバイ。中途採用扱いで考えてもキャリアも無いに等しい。そりゃ、面接に受かるはずもありません。
ですが、タイムリミットまであとわずかというところで、Webサービスを自社で作っている会社になんとか入社することができました。しかも、「来週から働いていいよ」と言われ、僕はなんとか生き延びることに成功。
しかも、この会社は風通しも良く、分業もしっかりとされていたので、雑務で1日終わるようなことはありませんでした。むしろ、この会社で働いていたときはすごく楽しかったです。
ですが、その喜びもつかの間。僕は、更に現実の厳しさを知ることになります。
会社の業績不振から、一気に人生のどん底へ
再就職をして1年半ほど経ったときのことです。
ちょうどその半年前くらいに新しいスタッフも増え、これから事業が大きくなっていくんだろうなと感じたその矢先の出来事でした。
新しく入ってきたスタッフが全員辞めてしまったのです。それだけでは済まず、僕が働く以前から勤めていた人も、一人、二人と辞めていき、最終的には社長を含む会社幹部の2人。そして、僕を含むスタッフ3人の、合計5人になってしまっていました。
以前よりは少し忙しくなったものの、あまり気にすることはなく過ごしていたのですが、ある日のこと。社長からメールでメッセージが届きます。
「ごめんなさい。今月の給料の振込は来月になります。」
その当時から、リストラがどうのこうのと話題になることは多かったですが、まさか自分の会社でも給料が払われないことがあるとは思ってもみませんでした。メッセージをもらった最初は、「???」という状態で固まってしまい、意味を理解するまでに時間がかかりました。
この当時も貯金などはほとんどしておらず、「家賃が払えません。どうにかなりませんか?」といった旨を伝えたことを覚えています。結局どうにかなることはなく、少ない貯金からその月の家賃を払いました。
そんなことが2回3回と続き、もう1人のスタッフもクビになってしまいました。そして、残ったのは4人。順番からして次は確実に僕だったので、自ら社長に辞める旨を伝えました。
「将来は独立したい」と話していたので、驚かれることもなく。社長とは仲が良かったのすが、「今お金が厳しいから送迎会はまたやるね」と言われてそれっきり会っていません。
タイミング的にはかなり早かったと思っていますが、僕はここで独立することになります。以前よりは実績は出来たものの、まだ自分の事業は持っておらず。何もしなければ翌月の給料は0の状態。
ただ、以前辞めたときよりは多少貯金があったので、「もしダメだったらまた会社員に戻ろう」というつもりで、自営業としてスタートすることになります。内心「どうしよう」という気持ちはもちろんありましたが、役所に開業届けを出しにいくときは少し誇らしかったです。このときも、両親には独立したことを連絡していません。
ただ、それからが地獄の始まりでした。
独立当初は、知り合いの人から仕事をもらえることもありましたが、どれもこれもが安い金額の仕事ばかり。複数の仕事をこなさなければ、当然食べていくことはできません。
お金の不安があったので、とにかくこの当時は寝る間も惜しんで働きました。貯金が尽きるのが先か、身体がボロボロになるのが先か。まさにそんな感じです。
中には、支払いをされなかった制作物もいくつかあります。「一緒に仕事をしよう!」と言って作業をさせておいて、完成間際には「今忙しいから今度連絡する」の連発。そのままフェードアウトしてしまう人がたくさんいました。
時間は増えないし、お金も増えない。そして、人には裏切られる。まさに地獄みたいな日々でした。この頃の僕の時給は300円ほどです。いや、下手すると300円は余裕で切っていたと思います。
死ぬほど働きまくったはずなのに、その年の僕の年収は150万円ほどでした。
貯金もじわりじわりと減っていき、このままだと後がない!という状況の中、僕がわずかな時間を見つけて始めたのがネットビジネスです。
「半年くらいやれば、少しくらい足しになるだろう」
と、そんな気持ちでアフィリエイトをスタート。一応制作会社にいたし、まあ独学でも大丈夫だろう、と。ですが、それがそもそもの間違いでした。
貯金が尽きるまであとわずか。半年後、僕が初めてのネットビジネスで稼いだ金額は、
0円
半年の実践後。僕は1円すら稼ぐことができませんでした。このときばかりは、
「ああ、やっぱり自分は何にもなれないんだ」
と本気で思いました。親が言っていたことは正しかった、と。何にもなれず、何1つ成し遂げることができない自分。この頃が20代後半です。悔しくて悔しくて、ボロボロになるまで泣きました。
人生真っ暗とはよく言いますが、本当にそういう状態です。
「そろそろ、次の仕事を見つけないと…」
と考えていた矢先。友達から「知り合いが仕事を手伝ってくれる人を探している」と連絡が入ります。お金もなかったので、詳しい内容も聞かずにOK。
その友達と知り合いの3人で、顔合わせということで食事に行くことに。この出会いが、結果的に僕の人生を大きく動かすことになります。
逃げてばかりの人生に初めて本気で向き合った
仕事の内容は、とあるアフィリエイトサイトのリニューアルです。後から知ることになるのですが、ジャンルの中でも業界最大手のサイトで、当時から月2000万円ほど稼いでいたそうです。
ちなみに最初の打ち合わせのときに「どれくらい稼げるんですか?」と聞いてみたのですが、「寝る間も惜しんで100万円くらい」とはぐらかされました(笑)でも、100万円でも十分すごい。そして、何よりも寝る間も惜しんでという言葉にもビビッときました。
「ああ、そういえば自分は1日1時間程度しか作業していなかったな」
このとき、改めてビジネスの厳しさや、ビジネスや人生に真剣に向き合っていなかった自分に気付きます。
「あれがしたい、これがしたい」というものの、人以上に頑張ることはなかった。お金が無くて苦労はしてきたけど、ただそれだけ。そこから這い上がろうとする努力なんてまったく足りていなかった。
お金がないせい、会社が悪い、センスがないからダメと、全部外部のせい。自分自身のダメさを一切認めてこなかった。
「今」がどうであれ、それは100%自分がこれまで生きてきた結果であると。
ここで出会った彼はいい身なりもしていたし、いいところに住んでいたし、そしてなによりも仕事に対してとても一生懸命でした。話せば話すほど真剣で魅力的に感じたし、僕もその彼と出会って「もっと頑張らないと!」と、前向きになれました。
その彼は、間違いなく僕の人生を変えてくれた恩人なので、ここからはメンターと呼びます。
メンターとの仕事は今まで以上に一生懸命取り組みました。実力不足はどうしようもないけど、スピードと丁寧さだけは意識しました。そうした姿勢を評価され、僕はメンターのいくつかのサイトを作らせてもらうことに。
そんなある日、次のサイトのリニューアルの打ち合わせをしているときに、僕も過去ネットビジネスをやっていたこと、そして半年で1円も稼げなかったことを話すことがありました。
それを聞いたメンターから、
「もし、本気になれるんなら教えるよ。
ただし、自分の仕事を手伝ってもらうことが条件。」
と、思いがけない言葉が。
以前までの僕だったら絶対に逃げていたと思います。「手伝ってくれと言いなが、ら結局いいようにこき使うだけだろ」って内心は思いました。また、時間ばかりが圧迫されて、時間もお金も無い生活をしないといけなくなる、と。
でも、もし逃げたらまた人生は変わらないまま、このまま終わってしまうかもしれない。魅力的な人に出会えたんだから、この人についていってみよう。
「はい、お願いします」
僕はそれからメンターと一緒に仕事をしていくことになります。銀座のトラジ(焼き肉屋さん)で、2人で「超人的にんにくネギスープ」を飲みながらビジネスの話しをしたことを今でもはっきり覚えています。
普通の家の普通の子どもの人生は変わった
僕はそれから、メンターの元で一緒に働くことになりました。
終電間際に呼び出されて、事務所に向かうことも。夜中の3時にスカイプの通知音が来れば、そのまま対応することも。
めちゃくちゃハードだったのですが、このときはとてもワクワクしていました。僕が初めて東京に面接で来たとき。「これから何か始まるかもしれない!」とワクワクして、寝れなかったネカフェでの夜。そのときのワクワク感と同じです。
もう、これが最後だと思ったんです。僕は自分が変わるには、もう今しかないと思った。だから、必死で食らいついていきました。
そして、メンターの元で働く中で、今までの人生の中で、たったの1回ですら心の底からがむしゃらになれていなかったことにはっきりと気付きました。
昔の父親の言葉はたしかにきつかった。でも、それでいつまでも被害者面をして、人の目を気にして傷つかないよう逃げまくって生きていたのは自分だと。それで、何かを成し遂げようなんてあまりにも甘い考えだった。
また、ビジネスについてもしっかり学ばせてもらいました。正しい道筋を知ってしまえば、意外とあっさりなんですよね。「たったそれだけでいいの?」と思うような施策を、1つ2つ施すだけで収益はドカンと伸びていきます。
多くの人は見えていなくても、稼いでいる人にははっきりと見えている道筋があります。それを道筋通りに1つ1つ積み上げていくと簡単に成果が出てしまう。僕はこれを、
- 正しい方法を
- 正しい基準値で行う
と表現することがあるのですが、ビジネスで成功するために必要なことは、このたった2つだけです。
ビジネスと聞くと、センスや才能、知能、学歴、もしくは両親の影響などの成功要因を考える人がいますが、全て間違いです。それは、ここまでの僕のストーリーを読んでもわかる通りかと思います。
ビジネスで成功するには、成功する「型」を覚えてその通りに実践していくことが何よりも大切です。
また、基準値とは、ビジネスに対する姿勢や努力の量です。例えば「今日は頑張った」という一言。休みの日はゴロゴロスマホゲームばかりやっている人と、年収数億円稼ぐ社長では「頑張った」一言に対する定義がまるで違います。
「じゃあ、どの程度頑張ればいいのか?」というのが、ここでいう正しい基準値になります。
もちろん最初は大変でした。今までの僕はずっと辛いこと、しんどいことから逃げてばっかりだったですからね。でも、この時ばかりは覚悟が違いました。
「ろくに努力もせず、自分の人生がうまくいかない理由を
両親や環境のせいにしていた。」
そんな自分を心から変えたいと思い、がむしゃらに行動しました。このとき僕の支えになった、メンターの言葉があります。
「人生なんて半年命かけてやれば変えられる」
僕がなかなか成果が出ず、伸び悩んでいたときにかけてもらった言葉です。
新卒は3年は働けなんて言われます。また職人の世界では、10年修行をしてやっと一人前になります。ですが、自分でビジネスをするのであれば、たった半年頑張っただけでも人生は大きく変わります。
実際に僕もメンターの元で仕事をして、10万円、20万円と少しずつ収益を伸ばし、半年経つ頃には自分のビジネスだけでも食べていけるくらいになりました。そして、今では月収300万円近くまで事業を伸ばすことができています。
「何にもなれない」と言われた、普通の家の普通の子ども。何度も「もうダメだ」と思うようなことがあったけど、僕は自分の人生を生きることができるようになりました。
主人公としてチャレンジと成長で人生を楽しみ尽くそう
僕の場合、自分でビジネスをするきっかけは強い劣等感からでした。両親に認めてもらえなかったこと、そして実家が決して裕福でなかったこと。自分に、そしてお金にも強いコンプレックスを持っていました。
「起業して自分で会社を作れば自分の証明にもなるし、貧乏もクリアできる」そんなちっぽけな動機からです。
でも、きっとこれを読んでいるあなたも「世界を変えてやるぜ!」なんて大きなことは考えてなく、まずは自分や周りの人を幸せにすることを強く願っているんじゃないかと思います。そして、そうした願いはインターネットを活用したビジネスを行えば、誰にだって叶えることができます。
リアル事業を興すような何千万円という資金はもちろんいらないし、それによる借金のリスクも0です。
過去の僕がそうだったように、自信がなくても、センスがなくても、借金があっても、今がどうであれ構いません。必要なのは自分の人生を生きると覚悟を決めて最初の一歩を踏み出すこと。たったこれだけです。
自分の人生を生きると決めれば、誰だって主人公になることができます。ジタバタしてかっこ悪くてももがきまくる。モヤモヤする現状にしっかり向き合い、一歩を踏み出す。僕はそういう人たちをかっこいいと思うし、応援していきたい。
そして、ずっとモヤモヤした気持ちで生きてきた僕が大きく変われたのは、間違いなくビジネスに真剣に向き合ってからです。学んで学んで学びまくる。当たり前だけど、成長すればするほど得られる金額も大きくなっていきます。その結果、僕は今では食べるに困らない収入もできたし、それにより心の余裕もできました。
僕の場合は、この精神的な余裕により、上京するまでずっと仲が悪かった両親と打ち解けられたのが1番の収穫です。今ではカープの試合結果について、毎日LINEをしあうほど仲良くなりました。
あなたが人生を変えるのに、長い時間は必要ありません。たったの半年だけでいいので、今までにない以上本気でビジネスと向き合ってみてください。長い人生の半年踏ん張るだけで、半年後見える世界は大きく変わっていますよ。
その後は、仕事から離れて趣味や家族の時間を大切にするも良し、更に学んで上を目指すも良し。あなたの理想とする人生を叶えてください。
僕の発信があなたの人生を変えるなんて大それたことは言いませんが、あなたの人生が変わるちょっとしたきっかけになったり、最初の一歩の背中を押す役割になると嬉しいです。
覚悟を決めた全員が主人公として生きてもらえたらという思いで、ブログで発信をしています。
さて、ここまでは僕の昔の話をしてきましたが、じゃあ具体的に何からすればいいのか?どうやってビジネスを始めたらいいのか?がこれから気になることかと思います。
これから実際に取り組むべきビジネスの具体的な戦略についてはメルマガでお話しているので、是非こちらから登録しておいてください。無料であなたのビジネス思考が鍛えられ、ぐっと成功に近づくことができます。
それでは、以上です。僕も人生楽しみ尽くすために、これからもどんどんチャレンジと成長にコミットしていきます。一緒に頑張りましょう!あなたの成功を心より応援しています。